●  ホーキンス博士の遺言であるAIの脅威

おはようございます。経営ドクターの島村信仁です。

 昨晩、NHKのクローズアップ現代+を見ていたら、ホーキンス博士の遺言の中の1つに「AIの進歩は人類にとって最も最善なものになるか、あるいは最悪なものになるかどちらかだろう」というものがありました。

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これ、どちらになるんでしょうかね?

読者の皆様はどちらだと思いますか?

私は、両方なんだろうなと感じました。 

両方といっても、最初に人間が主従関係の主でAIは従で恩恵が来るけれども、そのあとはAIが主になり人間が使われる従になるのではないか?そんな気がするのです。

例えば、お金。

お金というものができて、今までは物々交換だったものが、貨幣で交換できるようになり、大変便利になりました。

でも、今では、人間が作ったそのお金に支配されてはいないでしょうか?

お金を使わなければいけない立場の人間が、お金を稼ぐこと、利益を出すことが主になりお金ありきの生き方になってしまっている。

就職の仕事を選ぶ基準も稼げるか稼げないか?

アルバイトの仕事を選ぶ基準も時給が高いか高くないか? 

そんな風になってしまってはいないだろうか?

例えば医療。

医療の進歩は人間の健康にとって劇的な恩恵をもたらしたであろうと思われる。

今まで治らなかった病気が治るようになったりしているのだから。

しかし、なぜ一向に病院は減らないのだろう?

 なぜ医学の進歩に比例して人間は病気が減らないのだろう?

自分の体に異変があった時に病院や薬に頼る生き方になっていないだろうか。

例えば携帯電話。スマホ。iPhone。

できた時は公衆電話を探すこともなく自由にいつでも電話でき、携帯1つ持つだけで便利だと感じたものです。

でも、今は電車に乗るとほとんど全員、眉間にしわを寄せ、ゲームしたり動画見たり、LINEやSNSをしたり、ネットサーフィンをしている状態で携帯電話に使われて依存していないだろうか?

家に携帯電話を忘れて会社に出勤なんてもししてしまったら気が気でない。そんな状態にまでなってしまっている。

物事が広まる時には、人間にとって非常に使い勝手良く便利と感じる分水嶺がある。これを第1分水嶺と言う。

そして、その便利さを超えると次に第2分水嶺が来て、人はその進歩に依存するようになるのである、と書かれている本があります。

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この本を読んでいなければ、そんな物事の見方は身につきませんでした。

イヴァン・イリイチのコンヴィヴィアリティ(自立共生)のための道具という本です。

今までの歴史を俯瞰してみると、確かに第1分水嶺と第2分水嶺がともに来ていると感じます。

そうするとAIもホーキンス博士が言っているように、人類にとって最善のこと(第1分水嶺)になるが、それを過ぎると人類がAIに取って代わられる最悪のこと(第2分水嶺)になるのではないだろうか?と考えることはできないであろうか。

AIに使われない、依存しないで共存した生き方をしていく必要があるということを忘れないでおきたいものです。



3月11日(月)の心学商売繁盛塾は、チェーン店の居酒屋ばかりの中で個人の大衆酒場店として商いを続けるニューカヤバに研修 という名の飲み会に行きますよ(笑)