● 流汗悟道を忘れている人が多い今の日本人





おはようございます。島村信仁です。



戦後間もない日本と今の日本の違いを勉強してみると今の時代に生きている私たちがいかに恵まれているのかわかります。



戦後まもなくは食糧も不足しており、米が食べられるなんてことはまずありません。



小麦も不足している時代で「脱脂粉乳を食べていて美味しくなかった」と私は母からよく話を聞かされていました。



ところが今の時代は逆に食べ物が余る飽食時代になり、明日ご飯を食べられないという人はほとんどいません。


お米が食べられないということもほとんどありません。400円程度のお金を出せば牛丼店で牛丼が食べられる時代です。



それにともない、平気で食べ物を残し、もったいないと感じる日本人や食べ物にありがたみを感じる日本人が減っているのを感じます。



また、昔はそのような農作物を自ら作ったり、隣近所の田畑を耕したりすることを手伝ったりしていたので、食べ物が出来るということはどれだけ大変な事なのか?身をもってわかっている日本人が多かったのではないでしょうか。



今では命を司る食べ物を作る経験をしたことが無い日本人が私を含めて増え、感謝が希薄になっていると感じるのです。



流汗悟道という言葉をご存知でしょうか?


流汗悟道



これで、「りゅうかんごどう」と読みます。


意味は、汗を流したことでないと真実はわからないという意味です。


どういうことかというと・・・


あるところに俊二君という子がいました。


お父さんは、会社の警備員をなさっており、1週間のうち3日は徹夜の警備、後の日は昼間に門衛としての勤務になっているという事でした。


俊二君はそういうお父さんをいつも肩身せまく思って、友達と話していても、お父さんの仕事の話になると口をつぐんでしまうのでした。


お母さんは、このことを悲しまれ、ある猛吹雪の晩、徹夜勤務のお父さんに温かいお弁当を届けることを俊二君に言いつけられました。


お母さんには、お父さんの見回りの時間、終了の時間がよくわかっていましたから、終了時間を目指して弁当を届けさせられました。



俊二君が会社の門に着いたとき、吹雪の中を雪だるまのように雪にまみれて、懐中電灯をともして見回りから帰って来るお父さんとバッタリ出会うことになりました。



俊二君は、こういうお父さんに養ってもらいながら、お父さんを軽蔑していた自分が恥ずかしくなりました。



俊二君は、それから弁当運びを自分の仕事にし、夜の勉強も門衛の机ですることにしました。



ある晩、勉強の途中、白人問題と黒人問題についてお父さんの考えを尋ねました。見事な考え方にビックリしました。話が自由貿易と保護貿易のことにうつりました。そこでも俊二君はお父さんの偉さに感心してしまいました。



勉強していると次の見回りの時間になってしまいました。



「あまり遅くならぬうちに帰って休むんだぞ」と言い残し、お父さんはまたも闇の中を見回りに出かけて行ってしまいました。



誰が見ているわけでもない。誰が監督しているわけでもない。だが、お父さんは責任感が強いんだなと俊二君はまた感心してしまいました。



家へ帰るとお母さんが、「この寒いのに2時間も何をしていたの?」とたずねられました。



「お父さんと勉強をしていたんだ」そう答えると俊二君は、お母さんが「こたつにあたりなさい」と言われるのを断って、机に向かいました。



その日の日記の終わりに俊二君は「吹雪の中の父に負けてはならぬと僕は勉強をつづけた」と書いていました。


東井義雄「いのち」の教え
東井 義雄
佼成出版社
1992-04-01




東井義男 いのちの教えより抜粋



俊二君はお父さんの仕事を恥ずかしがっていましたが、吹雪の中温かいお弁当を持って行って、お父さんの仕事を目の当たりにして初めて真実がわかり、お父さんを軽蔑していた自分を恥じています。



俊二君と同じように実際に汗を流してお金を稼ぐこと、商売をすることにもつながるのではないでしょうか?



最近は何やら仮想通貨セミナーなるもので儲かるといったことで騙されているトラブルが増えているみたいですが、こういうところからも楽して儲けよう、汗をかかないで儲けよう。



そういう日本人が増えてしまっていると思わざるを得ません。



流汗悟道は今の時代に生きる日本人こそ忘れてはいけない言葉だと思うのです。






● 8月14日(月)失敗塾とコラボして失敗について語り合います。しくじり先生ならぬしくじり商人みたいなものですね(笑)一緒に人の失敗から勉強しましょう。