● 東日本大震災から今日で6年経過しました
こんばんは。島村信仁です。
本日3月11日は、東日本大震災を経験して6年目になります。
正直、6年も経ってしまったのか・・・早い、あっという間というのが正直な感覚です。
当時の家の中に置いてあった本棚が倒れた時の写真です。
プリンターも含めて家じゅうが酷い状況になりました。
冷蔵庫もこれだけ動いた大地震でした・・・
家のいたるところにヒビがいまだに残っています。
今でも6年前の時に覚えているのが、スーパーやコンビニから水やおにぎりやカップラーメンなど全て無くなり、ガソリンスタンドではガソリンを入れるのに長蛇の列に並びやっと入れることが出来、生活が一気に様変わりしたんです。
コンビニの棚に残っていたのは炭酸のコーラやサイダーなんかでした。
ああ、いざという時になると必要のないものと必要なものに否が応でも分かれてしまうのだなと気づきました。
コーラは生きるのに必要ないってことですよ。生きるか死ぬかの時に棚に残っている。
水やお茶は売れて棚にない。そういうことです。
野菜や肉などの生鮮食品も変えず、食事をしないと生きていけないので外食に行きましたが、行ってもお店はほとんど開いていませんでした。
震災後1週間~1ヶ月近く開けなかったお店は大半が大手企業のフランチャイズ店でした。
具体的に言うと吉野家、すき家、ヨークベニマル、こういう大手のお店はすぐに開けませんでした。
逆に周りの地域の住民が困っているからとすぐに開けてくれたのは、個人で経営しているお店でした。
韓国料理屋さん、焼肉屋さん、個人店があの時、本当に困った時に助けてくれて、大手はお店を開けずに逃げたということがよくわかった経験をさせてもらいました。
大手は爆弾を落とすかのように全国各地にお店をバババババって出すだけ出して、その地域が大変になったら平気でいなくなる。
今、日本全国で色々なお店のフランチャイズ店が増えていますが、それではいざという時は、何もしてくれない。
やっぱり個人のお店が残って、長く商いを続けていかないと、本当に地域が困った時にお店が開かない。
その時ですよ。個人店が商売繁盛し続けるようにお役に立てるようにという思いを持って起業しようと思ったのは。
だから、このブログも大手のやり方を真似するのではなくて、徹底的に逆をやることが個人店が生き残る商いのやり方では?と書き続けています。
起業して今年で6年目になります。東日本大震災が起きた年を心に忘れないように刻むためにもその年に起業しました。
どうしても時間が経つと忘れていくのが人間なので・・・私も6年前の時に比べたら・・・というのは正直ありますから。
忘れないことは大事です。
でもね。風化していくのはやむを得ません。人間だから。
忘れないようにって言っても忘れますよ。人間だから。所詮は他人事だから。
個人のお店に役立つような仕事をする、東日本大震災を忘れない。
改めて心に刻み、日々生きていることに、仕事があることに、注文を頂けることに感謝して生きてまいります。
● 3月13日(月)個人店の今後の商いはどうしていけばいいのか?についての講を行います。一緒に長く続ける個人の商いの勉強をしましょう♪
こんばんは。島村信仁です。
本日3月11日は、東日本大震災を経験して6年目になります。
正直、6年も経ってしまったのか・・・早い、あっという間というのが正直な感覚です。
当時の家の中に置いてあった本棚が倒れた時の写真です。
プリンターも含めて家じゅうが酷い状況になりました。
冷蔵庫もこれだけ動いた大地震でした・・・
家のいたるところにヒビがいまだに残っています。
今でも6年前の時に覚えているのが、スーパーやコンビニから水やおにぎりやカップラーメンなど全て無くなり、ガソリンスタンドではガソリンを入れるのに長蛇の列に並びやっと入れることが出来、生活が一気に様変わりしたんです。
コンビニの棚に残っていたのは炭酸のコーラやサイダーなんかでした。
ああ、いざという時になると必要のないものと必要なものに否が応でも分かれてしまうのだなと気づきました。
コーラは生きるのに必要ないってことですよ。生きるか死ぬかの時に棚に残っている。
水やお茶は売れて棚にない。そういうことです。
野菜や肉などの生鮮食品も変えず、食事をしないと生きていけないので外食に行きましたが、行ってもお店はほとんど開いていませんでした。
震災後1週間~1ヶ月近く開けなかったお店は大半が大手企業のフランチャイズ店でした。
具体的に言うと吉野家、すき家、ヨークベニマル、こういう大手のお店はすぐに開けませんでした。
逆に周りの地域の住民が困っているからとすぐに開けてくれたのは、個人で経営しているお店でした。
韓国料理屋さん、焼肉屋さん、個人店があの時、本当に困った時に助けてくれて、大手はお店を開けずに逃げたということがよくわかった経験をさせてもらいました。
大手は爆弾を落とすかのように全国各地にお店をバババババって出すだけ出して、その地域が大変になったら平気でいなくなる。
今、日本全国で色々なお店のフランチャイズ店が増えていますが、それではいざという時は、何もしてくれない。
やっぱり個人のお店が残って、長く商いを続けていかないと、本当に地域が困った時にお店が開かない。
その時ですよ。個人店が商売繁盛し続けるようにお役に立てるようにという思いを持って起業しようと思ったのは。
だから、このブログも大手のやり方を真似するのではなくて、徹底的に逆をやることが個人店が生き残る商いのやり方では?と書き続けています。
起業して今年で6年目になります。東日本大震災が起きた年を心に忘れないように刻むためにもその年に起業しました。
どうしても時間が経つと忘れていくのが人間なので・・・私も6年前の時に比べたら・・・というのは正直ありますから。
忘れないことは大事です。
でもね。風化していくのはやむを得ません。人間だから。
忘れないようにって言っても忘れますよ。人間だから。所詮は他人事だから。
個人のお店に役立つような仕事をする、東日本大震災を忘れない。
改めて心に刻み、日々生きていることに、仕事があることに、注文を頂けることに感謝して生きてまいります。
● 3月13日(月)個人店の今後の商いはどうしていけばいいのか?についての講を行います。一緒に長く続ける個人の商いの勉強をしましょう♪
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